でじたけ流 教育論-綴蓋
 

でじたけ流“教育論”第1205回
綴蓋


赤ん坊の頃は
誰も皆…
食事から着替え
下の始末まで
すべて
親の世話になっていた

やがて自分で
スプーンを持って
メシを食うようになり
トイレに行けるようになり
着替えもできるようになる

そのための
訓練をしたからだ

充分な訓練は
習慣となって
習慣は
当たり前のことになる

当たり前のことをするのに
努力はいらない

努力を意識せずとも
何かを行えるようになって
はじめて…訓練は完成する

歳をとって
身体が次第に
言うことをきかなく
なってくると…
まるで赤ん坊の頃のように

食事から着替え
下の始末まで
介助人の世話になる人は多い

それは致し方ないことだろう

ところが
身体はまだ充分に動くのに
面倒なことを
体よく人に押しつける人がいる

訓練の辛さから逃げ出した人だ

面倒なこと…が
いつまでも面倒なのは
ようするに
それを
容易にこなせるようになるまでの
訓練をしなかった結果である

目先の楽をとって
自分の限界を決めてしまうのは
自分の人生にフタをするようなもの

それでもまだ
若さと称される
エネルギーが残っていれば
あるいはそのフタを
吹き飛ばすことは
できるかもしれないが…

歳をとればとるほど
フタの重みは増してくる

感心できないのは
自分に力がないことを棚に上げて
フタの重みのせいにすること

どんなに頑張ったって…歳はとる

しかし
人生のフタを
少しでも軽くしたいと思ったら
少なくとも
フタの存在を素直に認め…
自分の力のなさに謙虚になる
…必要があるだろう

力もないくせに
訓練からも逃げ出し
さらに体裁を繕って
自分を正当化ばかりしていると
…誰も助けてはくれない

そうこうしているうちに
どんどんフタの重みは増していき
終いに
自分で閉じたフタに
押し潰されてしまいかねない

やっぱり…人生、日々更新

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