20060226
でじたけ流 教育論第292回

ヨイトマケの唄


どんなに疲れている時にでも
我が子の無邪気な寝顔を見れば
フッと笑みが浮かぶ・・・という心境は
たいていの親なら
誰しもが経験していることだろうと思う。

べったり一緒にいると
疲れることも間々あるけれど
・・・確かに子供たちには癒される。

だけど忘れちゃいけないのは、
子供は決してペットではないということだ。

物心つけば言葉もしゃべるし、
親がやりたいことや望むこととは
別のこともするようになってくる。

子供は親の所有物ではないのだ。

一番身近な
人生の先輩と後輩、と考えるのが
適切であるように思うな。

そこで考える・・・
尊敬できる先輩とは、どんな先輩か?

いつも一緒にいてくれる先輩には
安心感はある。

・・・が、
やがて後輩の力が増してくると
後輩が先輩にくっついているのではなく、
先輩が後輩にくっついているようになって
何とも頼りないし
場合によっては、うっとおしい。

尊敬できる先輩とは
自分もこうなりたい、とか
どうやったら頑張り抜くことができるのかを
身をもって見せてくれる先輩だ。

再び、親子の関係に戻してみる。

本当は仕事で忙しいのに
一緒に遊んでくれる親はありがたいし、
滅多にないそんな機会は
子供にとっても楽しみだろう。

貴重な時間というのは
少ないからこそ貴重であって、
それが当たり前になると
ちっとも貴重さを感じなくなってしまう
という面もある。

三度三度のメシを食わせるための
金があるから親が偉い、というのではなく
そのために働き続けているから偉いのだ。

親が働いている姿を見て
育った子供は幸福だ。
そして・・・
強い人間になれるはず。

子供に金をかけるのは
ある意味、親の自己満足。

何不自由なく育てることより
懸命に働く姿を見せることの方が、
これから幾多の苦難にぶち当たるであろう
子供の人生にとっては
はるかに価値があることだと強く感じる。

子供をペットや・・・
あるいは王子様、お姫様扱いにして
現実離れしたところで関係を保つのは
ある意味、お互いにとって楽なことだけど・・・
働く人間の見本が身近にいないと
きっと子供は怠け者になっちゃう、ね。


でじたけ流 教育論