20070624
でじたけ流 教育論

第360回

次男の一喜一憂


このところ小2の次男が、
ずっと楽しみにしていたことがある。

それは・・・
オモチャのカンヅメの到着。

そう、森永のキョロちゃんの・・・アレ。

お兄ちゃん、お姉ちゃんはもちろん、
その友達までマークを集めに協力させて、
ようやく応募にこぎつけたらしい。

私が子供の頃からあったオモチャのカンヅメ。

今はだいぶ見た目も変わって、
実際はカンヅメには入ってない。
だけどネーミングは同じ。

このネーミングがいいんだよね。
・・・オモチャのカンヅメ。

カンヅメを開けたら何が出てくるんだろう
・・・という期待感を持たせてくれる。

・・・で、
その最新バージョンのオモチャのカンヅメが、
ついに次男の元に到着した。

満面の笑みをうかべながら箱を開く次男。
そして、キョロちゃん型の入れ物が出てくる。
いよいよ、フタを開ける時が来た。

夢みたオモチャのカンヅメを開いた
次男の第一声・・・「なんだ、これ」

入っていたのはキョロちゃん関係の
ノベルティみたいなものが、いくつか。

あふれるばかりのオモチャが入っていることを
想像していた次男には、
ちょっと物足りなかったようだ。

そういえば昔・・・
本当にカンヅメに入っていた頃のオモチャのカンヅメを
友達が当てて、見せてもらったことがある。

カンヅメに入っていたのは・・・
当時はどこにでもあった駄菓子屋の店先で、
5円、10円出せば買えるような
小さなオモチャばかりだった。

やっぱりこういうものは・・・
当てるまでと、開くまでが一番楽しいもんだよ、ね。
ジェットコースターも
乗るまでに並んでいる最中が一番怖いように。

結局、人間というのは
普段の生活の中で、
自分の想像によって
喜んだり、怖がったりしているだけで、
実際に目の前にある現実は、
思ったほど大きな影響を及ぼしていないのかもしれない。

想像する力は
自分が自分である以上、
否定することも、止めることもできないわけで・・・

その力がよく働ければ、
どんな苦境でも進んでいけるし、
悪く働けば、
どんなに恵まれていても、
そのことにすら気づこうとしない。

自分が思い描くことは、
そういう前提があることを知っている人が、
少し自分をフカンで見て、
うまくバランスをとりながら
世の中を渡り歩いていけるんだろう、ね。

オモチャのカンヅメでの一喜一憂も・・・
そんなことを学ぶための、
ひとつのエピソードなのかもしれない。


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