Episode No.3730(20100809)
30年目の夏〜「白い蹉跌」のころ
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友だちを集めて自作の映画を作る。
死ぬ役で出演した親友が
完成直後、本当に亡くなってしまった。

私はそういう経験をしたことがある。
決して忘れることが許されない記憶だ。
神奈川県立舞岡高等学校、受験を迎える3年生の夏休み。

あれからちょうど30年目を迎える今年のお盆は、
このことについてあらためて書き起こしておこうと思った。

機会があれば、ぜひ舞高の後輩たちにも読んでもらいたい。
私と私の仲間たちは、舞高3期生。
妻夫木 聡が入学して来る、ずっと以前の物語。

01 友人の死

映画は6月の桔梗祭(文化祭)で上映するために、映画研究部で製作したものだ。
今年でちょうど完成30周年になるな。

今のようにビデオで手軽に撮影してパソコンで編集できる時代ではなかったから、1本3分20秒の8ミリフィルムでカタカタ回して、小さなカッターの刃がついた編集機で切ったり貼ったりしてつないで出来た全編42、3分の自主製作映画。

脚本、監督、撮影、編集、テーマ曲を私が担当した。
担当したというような、たいそうな技術もないけれど、ようするに“言い出しっぺ”だったということだ。

映画のタイトルは「白い蹉跌(さてつ)」と言う。

今見てもなかなかいいタイトルだと思うが、何のことはない、当時傾倒していた「青春の蹉跌(神代辰巳監督)」から拝借しただけの話。

高校生が作る物語だから、舞台は必然的に学校になる。
学校をサボって海に行った主人公の親友が事故にあって死ぬ。平日に行われる告別式に学校側は出席の許可を出さず、主人公は反抗して学校を出て行く。
しかし、亡くなった親友の日記を読んで思い直し、今を生きることを決意するが…。

…と、まあ今から考えれば高校生が作ったにしては中学生日記のようなストーリーではある。だが、この物語にはベースとなる想いが18歳の私なりにあった。

私が初めて友人の死を経験したのは、高校1年の時だ。
中学時代の友だちが、高校1年の時、バイクの事故で亡くなった。進学した高校は違っていたが中学で東京から横浜へ越してきた私にとって、この地で出来た最初の友だちだった。

同じ年でも死んでいく者がいるということに大きなショックを受けた。
そして、その理屈ではわかっても消化しきれない想いが「白い蹉跌」という作品に投影された。

「白い蹉跌」の冒頭は、ドキュメンタリーものから再撮した戦火の映像に以下のナレーションが流れるところから始まる。

〜戦争を体験した大人たちは、
 今は平和だと口癖のように言う。
 平和? その陰にはいったい何があるんだろう?
 死と隣り合わせの生活の中で
 人々は生きることの大切さを知っていたに違いない。
 …しかし、今…

そして「白い蹉跌」というタイトルが現れて、映画音楽を演奏するために組んだバンドが演奏するオープニングテーマが流れ出す。

♪実際のつたな過ぎる演奏/ベースを弾いているのは亡くなったE[mp3]

【続きを読

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