Presented by digitake.com

 

Episode No.572(20000627):見えない恩人

今からちょうど120年前・・・1880年6月27日。

アメリカはアラバマ州にある大地主の家。
その家はツタに被われた大きな屋敷・・・近所では「ツタみどりの家」と言えばわかるほどだった。

この日、裕福なこの家に、また新しい幸せがやってきた。
娘が誕生したのだ。

満1歳の誕生日に歩くことを覚えたその娘は、周囲の人々に明るさを振りまきながら育った。

ところが・・・1歳7ヶ月の時。
突然の高熱に倒れた娘は、どうにか一命をとりとめたものの・・・光と音を失ってしまう。

そう・・・彼女の名前は、
ヘレン・ケラー
今なお、世界に数ある伝記の中で、1、2を争う安定した売れ行きを示す「奇跡の人」である。

どんな境遇にあっても失われるコトのなかったヘレンの明るさは、もちろん素晴らしいが・・・。
ヘレンと生涯をともにした家庭教師、アニー・サリバンの根気強さと優しさが、また胸をうつ。

サリバンは1866年4月、マサチューセッツ州に生まれ。
ヘレンとは、まったく逆の貧しい家庭に生まれ、両親とは幼い頃に死別。
弟と共に施設にあずけられたが・・・そこで弟も亡くしてしまった。

そのうえ、14歳で一時失明。
その後、手術のおかげで視力をとり戻したものの・・・。
昼間は強い日差しから目を守るためにサングラスを着用していた。

7歳だったヘレンの家庭教師としてケラー家を訪れたのは、ちょうど20歳の時。
ちなみに、サリバンをケラー家に紹介したのは、
グラハム・ベルだった。

電話の発明家として有名なベルは、母親の耳が不自由だっために、耳の不自由な人たちの話し方についても研究を重ね、ケラー家の相談にものっていたのだ。

サリバンは自分の口の中にヘレンの指を入れさせて、聞こえない発音を手ざわりで覚えさせた。
名門ハーバード大学に入学したヘレンの授業には毎日ついて行き、講義を指文字で伝えた。

ヘレンが大学を卒業した一年後にサリバンは結婚。
しかし、ベルの勧めで世界中を講演を行うようになったヘレンのそばには、いつもサリバンの姿があった。

別れは突然やってきた。
ヘレン56歳の時、病気療養中だったサリバンの訃報が届く・・・70歳だった。

その後も師に誓った「少しでも人々に勇気をもってもらう」ためのヘレンの講演は・・・。
1968年6月1日、87年の波乱の生涯を閉じるまで続けられた。

ヘレンは、この日本にも3回訪れている。
1948年の2度目の来日時には・・・。
当時、再建されたばかりの渋谷の
ハチ公の像を抱きかかえるように両手で見た。


参考資料:「世界の伝記/ヘレン・ケラー」加覧俊吉=監修 集英社=刊 ほか

[ Back to TopBacknumberご愛読者アンケートBBS 御意見番BBS 保存版 ]