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Episode No.094:女の本能、男の理屈

今日もまた、忠臣蔵にひっかけたところから話をはじめよう。

赤穂浪士の討ち入りは、主君の仇討ちという美談には違いないが、結局、四十七士は全員切腹という結末に終わる。
それでも仇討ちをしなければ、死んだ殿様に会わす顔がないと思っていたに違いない。

このように男性には、自分の理屈によって"生きたり"、"死んだり"するようなところがある。
それに反して女性の場合は、まず"生きること"が前提にあって、そのうえで"どう生きるのか"ということには悩んでも"生きていても無駄"などとは決して思わない場合が多いのではないだろうか。

確かに女性の中にだって自殺する者はいるし、男性の中にも生への執着だけで生きているような者もいるが、いわば本能的に生き続けるという点で、女性の方が勝っているように思える。

シューマンというドイツの音楽家がいる。正確にはロベルト・シューマン。
"謝肉祭"などで知られる音楽家で、音楽の教科書に出ていたのを覚えている人も多いだろう。

音楽の教科書で紹介されているのは、作曲家が主で、演奏者の話はあまり出てこない。
ことに100年、200年前の演奏者の場合には、その録音があるわけではないし、名演奏は話として伝わっているだけだ。

だから普通、シューマンと言うと作曲家のロベルト・シューマンを差すことになるのだが、彼の曲が世界に認められるためには、名ピアニストの並々ならぬ努力があった。

そのピアニストの名は、クララ・シューマン。ロベルトの最愛の妻である。

クララは良家の音楽一家に育ち、幼い頃からピアニストとしての英才教育を受けて育った。ロベルトはクララの父、フリードリヒ・ビークに師事する音楽家の卵で、最初はピアニストを志していたが、激しい練習のために指を壊し、その道を断たれた。その結果、作曲家として歩み出すことになる。

ロベルトは10歳年下のクララを最初は妹のように可愛がっていたが、そのピアノの才能を尊敬し、やがて愛し合うようになる。クララの父、ビークは、それに猛反対し最期は裁判沙汰にまでなったが、2人は結婚。16年間に8人の子供をもうけた。

繊細な芸術家であるロベルトは度々神経衰弱に陥り、最期は精神病院で息をひきとる。クララは37歳で未亡人になった。

以来、76歳で亡くなるまで、クララは8人の子供を養うため。そして、亡き夫の作った曲を広めるために各地で演奏をし続けた・・・という話。

世界で初めての女流ピアニストとして知られるクララ・シューマンの肖像は、今でもドイツの100マルク紙幣に見ることができる。


参考資料:「世界の伝記 クララ・シューマン」笠間春子=監修 集英社=刊

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